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Last Update:2007/12/02

2004年10月23日(土) 地震発生当日

2007年10月23日(土)  地震発生当日
自分は長岡市でもっとも被害の大きかった蓬平(よもぎひら)地区の某温泉旅館の調理場でバイト中だった。
18時前、お客に出すデザートの皿を並べているときに"ゆれ"は来た。

とにかく立っているのがやっとで、真後ろでは缶詰が、横では皿が降ってきて酷い状況だったが、幸い無傷。
同時刻にK氏がてんぷらを揚げていたが、奇跡的に無傷、やけどすら負ってない。
あたりにはその時飛び散った油が散乱していたのだが、何故K氏は焼けどを負わなかったのか。今でも謎だ。

第一波がおさまってから、調理場の私、Y板長、T部長、K氏と洗い場のIさん5人で一旦外に出る。
付近一帯の電気は消え、真っ暗。調理場の横にある露天風呂からは悲鳴が聞こえていた。
そろそろ調理場に戻ろうとしたとき第二波が襲来。建物全体が大きく軋んだのがよく分かり、
この時死を覚悟したのを覚えている....

第二波がおさまってからロビーへ。仲居さんらが半べそになりながらもお客らをロビーに集めており、
当時旅館にいたお客84人は全員無事、かすり傷ひとつ負った人は居なかった。
また、従業員全員も無事で怪我を負った人も居なかった。
あれだけの揺れがあったのに旅館の中にいた100人余りは全員無傷。

ロビーの状況を確認してからF支配人と客室の様子を見に4階に向かった時第三波が来た。
壁につかまって立っているのがやっとで、いつ建物が崩れるか凄く怖かった....

お客全員がロビーに居ることを確認してから仲居さん達と旧館三階の布団部屋に防寒用の布団を取りに上がる。
新館の布団部屋は天井が落ちていて危険だったため各部屋にある布団も持ってくることは不可能で、
旧館三階の布団部屋のみが頼みの綱だった。第一波が来た時点で館内の電気は落ちており、
バッテリーによる非常灯のみが便り。とにかくお客に布団を行き渡らすのが先決だったので、
仲居さんと必死になって運んだ.....
途中二階の自動販売機や冷蔵庫が倒れていたり、新館と旧館のつなぎ目が外れていたりと、
よくもまぁこれで全員が無事だったと.......
余震が続く中、お客を守るのが先決だったのでとにかく必死。正直かなり怖かった。

F温泉旅館に勤めている仲居さんの殆どは地元、蓬平の集落に住む人が殆。
皆、家族の安否が気になる中で必死に職務を全うする姿に胸が痛む。

ありったけの布団をロビーに下ろしてから旅館の周りの様子を調べる為に一旦外に出たところで愕然。
旅館の前の道が土砂崩れで埋まって完全に寸断されており、その手前にO氏の車が無傷で止まっている......
あと数メートル奥に止めていたら巻き込まれていた……

(その土砂崩れの現場(翌朝)の様子↓手前にO氏の車が止まっていた。)


お客の避難場所を確保、次の問題は食料。
地震が起きた17:57はまさに夕食時、ウチの温泉旅館でもお客の大半が18時夕食だった。
料理を並べ、お鍋に火を入れる直前に地震が起こった為、奇跡的に火事は免れることができた。
仲居さん曰く、あと3分地震が起こるのが遅かったら料理に火が入っていて、もしかしたら火事になってたかもとのこと……
この時点で電気とガス、水道は止まっていたが、水は旅館屋上の貯水タンクのストックで補っていたので
必要なのはガスのみだった。とりあえず売店にあった饅頭をお客に配給してから、
米を炊くためのガスを探しに余震が続く中、蓬平の集落に出ることにした。


(↑旅館の売店の様子。ロビーに避難するお客や炊き出しの様子は従業員という立場上撮影はしていない。)

蓬平の集落は都市ガスではなく、各家庭へのボンベの設置でガスの供給が行われるプロパンガス方式であり、
幸いN専務の経営するF商店にガスのストックがあるとのことなので、Y板長、T部長と共にF商店へと向かった。
近所といっても旅館からF商店までは歩いて10分、途中なにがあるのか分からない、
有事のためにポケットにお茶と饅頭を押し込み、旅館の外に出た。
そこで自分らが見たものは、正面の山の裏からもくもくと立ち上がるものすごい煙。
蓬平の隣の地区、濁沢(にごりさわ)地区で土砂崩れと火事が起きた現場からのものだった。



(↑火事と土砂崩れによって壊滅的な被害を受けた長岡市濁沢地区。翌朝避難時に撮影)



とにかくガスボンベをとりにF商店へと急ぐ。途中道が2箇所も崩れており、とにかく辿り着くまでが大変だった。
道中、余震で私の真後ろの崖が崩落。あと10m後ろに居たら私は死んでたと思う。
無事ガスボンベをゲットしてからF旅館に戻り、炊き出しを開始。
同時に旅館の専務であり、F商店の店主であるN氏が自転車で長岡市から戻ってきた。
崩落で道路が寸断されている中、自転車でその土砂を登って越えてきたらしい。





(↑旅館とボンベの調達先のF商店までの道2箇所で土砂崩れ。
一時完全に道が埋まって自転車で上るのがやっとだったが、N専務が除雪用ブルドーザーで道を開けてくれた)



炊き出しで食料がお客に行き渡ったのを確認してから、N専務と二人で蓬平集落内の家のガスボンベの見回りに出る。
地震で倒れたガスボンベをそのままにしておくと、圧力の関係で爆発する危険があるとのことなので、
集落一軒一軒を原チャで訪問し、倒れたボンベを起こして栓を閉めてまわった。

停電で壊滅状態の集落の中をノーヘル二人乗りのDIOで走り回り、
余震でいつ崩れるか分からない山の下にある集落や、いつ落ちるか分からない沢の上にある集落の
ボンベを起こしてまわる作業の恐怖は一生忘れない。生きて帰れた。ただそれだけで十分だった。

甲斐あってか、蓬平の集落では火事は一軒も起こらなかった。



蓬平温泉には3つの温泉宿がある。私のバイト先のF温泉旅館、I温泉旅館、Y温泉旅館の3箇所だ。
I温泉旅館とY温泉旅館は壊滅的な被害を受け、宿泊客を建物の中に入れておくのは危険だったので、
送迎用のマイクロバスにお客らを非難させて一夜を過ごしたとのことだった。

幸い私のバイト先、F温泉旅館だけはほぼ無傷だった。
硬い岩盤の上に建設したお陰か揺れも他よりはマシで、たまたま客として来ていた一級建築士の団体さんの
ご意見により安全と判断、ウチの旅館の宿泊客だけは建物の中で一晩を明かした。

自分も旅館のロビーの横にある事務室で一夜を明かしたが、とにかく余震が凄くて殆ど眠れなかった。
翌朝はかなり冷え込んだが、苦労して降ろした羽毛布団がかなり暖かく、凍えることはなかった。
外で一夜を明かした人は大変な思いをしたに違いない。



(↑露天風呂が崩壊したI温泉旅館。駐車場の裏山も崩れており、ロータリーが陥没していた。)



(↑ボイラー室が大きく傾いたY温泉旅館。旧館と能の舞台が壊滅的な被害を受け、
貯水タンクの破損によってロビーは水浸しになってた。)



蓬平温泉は電波の状況が悪く、携帯電話はドコモしか繋がらない。
ラジオ、TVはまったく入らないので、情報がなく、とにかく困った。震源がどこなのか?
長岡市の様子はどうなのか? 死人はどれくらい出たのか? そんな情報がまったく分からない。
地震直後には、震源は津南、もしくは十日町という間違った情報も流れていた。

分かっていることは隣の集落、濁沢地区で火事が起こり4人が亡くなったとこのことだけ、
天ぷらの火傷を免れたK氏の自宅が濁沢なので、K氏は血相を変えて様子を見に行ったが、
家族と家の無事を確かめるや否や、K氏はすぐに旅館に戻ってきた。

土砂崩れと火事で道は寸断されているようだが、沢の対岸なら歩いて通ることが出来るとのこと。
とにかく情報が不足して大変だった。お客さんの一人に「どうしてくれるのよっ!! あんたらの責任よ!!」
と詰め寄られたのを今でも覚えている。

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