前回の土合ロケに引き続き鉄分の含んだロケです。
たまたま学校が休みだったまっちゃんと中越地震で学校が休業中だった私。それとたまたま仕事が休みだった智っさんと3人で秋の碓氷峠へと向かいました。
平日でしたがおばチャンのツアー客が妙に多くて混んでいましたよ。

この碓氷峠は群馬県と長野県の県境にある峠でその歴史は古い。
地図上にはないが、1997年まで横川と軽井沢の間には鉄路が存在した。
群馬県の高崎からこの碓氷峠を経て長野、直江津を経由し新潟まで至る旧信越本線である。1997年の長野新幹線開業によって、この信越本線横川−軽井沢は廃止。軽井沢−篠ノ井は第三セクターのしなの鉄道へ経営が移り現在のような形態になった。
碓氷路は古代から中世にかけて東山道と呼ばれ、都と東国を結ぶ重要な宮道であった。徳川期になると中仙道として整備され、麓には関所が設けられて旅人、馬子、大名行列等で賑わった。
明治になるとこの道は国道18号となり、並行して馬車鉄道が開設された。この馬車鉄道が旧信越本線横川−軽井沢の前身となる。
この碓氷峠を挟む群馬県横川と長野県軽井沢の間は直線距離にしてわずか8.5kmであるが、高低差は553mもあり、国内屈指の交通の難所であった。この区間に鉄道が開設されたのは明治26年のこと。アプト式と呼ばれる特殊な鉄道方式が採用され、この区間を通過するすべての列車には急勾配を上り下りする為に専用の機関車が補機として連結された。
明治41年、複線電化の際にこのアプト式は廃止され、現在と同じ鉄道方式になったが、勾配を上り下りする為の補助機関車の連結はこの区間が廃止される1997年まで続いた。この特殊な運行形態故にこの横川−軽井沢は鉄道マニアの間で「ヨコカル」と称され、1997年の廃止の時は大勢のマニアが詰掛け大フィーバーになった。かく言う私もその1人であった...
有名な駅弁、峠の釜飯はこの機関車が連結、切り離しされる停車時間の間に売られていた。

碓氷峠の秋。鉄路のあった頃静かだった峠は観光地として整備されつつありました。

アプトの遺構。碓氷第三橋梁跡です。かつては草木がぼうぼうで柵もありませんでしたが、
ヨコカル廃止と共に整備されました。トロッコ列車を運行する計画もあるそうです。
奥に見えるコンクリートの橋は旧信越本線横川−軽井沢。ほんの7年前までは特急電車が機関車の力を借りてあえぎあえぎ上り下りしてました。

碓氷第三橋梁跡を地上から見上げてみます。めがね橋と称されるこの橋梁は
レンガ造りの4連アーチ。高さ31m、長さ91mでレンガ造りとしては国内最大規模だとか。
関東大震災でヒビが入り、橋脚にレンガが巻き足されました。

アプト時代の第五トンネル跡へ。アプト時代の遺構はすべてレンガ造り。
トンネル上部には蒸気機関車時代のススの跡なんかが残っていたりと100余年の鉄路の歴史を感じることができます。
今は遊歩道として整備されていますが、将来はトロッコ列車を通すとか....
ミルフィーとシルフィーにも同行してもらいました。
めがね橋の下にある碓氷湖のほとりにて。
碓氷峠の紅葉はとにかく美しいです。
文部省唱歌「もみじ」はアプト時代横川−軽井沢の中間にあった列車交換用の駅
熊ノ平駅にて作者の高野辰之が列車交換の間、眼前に広がるこの碓氷の紅葉に感動し唄った歌だと言われています。
久々に訪れた碓氷はあの時と変わらぬ装いでした。山々に響き渡っていた機関車のブロワーの音は過去のものとなってしまいましたが、それを現代に語りつぐ遺跡が峠の山々の至るところにひっそりと残されています。
近い日にまたロケができたらと思い、峠を後にしました。
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